山口吉郎兵衛と滴翠美術館
滴翠美術館は、六甲山の美しい翠巒(すいらん)を背景にした閑静な住宅街の一角に佇み、小鳥のさえずりや四季折々の草花が訪れる人を迎えます。
ここはかつて、大阪財界で活躍した山口吉郎兵衛氏の住宅でした。
氏は昭和8年、山口銀行の頭取として主催されていた山口銀行が合併して三和銀行となったのを機に財界を離れ、昭和26年に他界されるまでの間、京焼や紀州焼などの陶器や人形、かるた、羽子板などを熱心に研究し収集に没頭されました。これらの古美術品コレクションは2500点にも及び、今日も識者の間で高く評価されております。
氏が生前に望んでおられたコレクションの一般公開を、遺志を継いだ夫人が住宅を改装し、氏の雅号であった「滴翠」を冠して美術館を開館しました。
現在、美術館として親しまれている旧山口吉郎兵衛氏住宅は、昭和を代表するモダニズム建築家の安井武雄氏が設計を手掛けたもので、近年の関西モダニズム建築20選やひょうごの近代住宅100選にも選定されています。